小学校の時約2kmの道のりを歩いて通っていました。
行くときはいつも同じ道ですが帰りは様々なルートがありました。
山道、川経路、この道も当時はアスファルトではなくて土の道でした。
午後の2時3時頃は帰路の子どもたちが見かけられたこの道も今は全く見かけません。
車で迎えにいくからです。
昔はこの道を1人の子どもたちがとぼとぼと歩いて帰っていたわけです。
今考えれば危険がいっぱいでとんでもないということなんでしょうね。
箕郷町が生んだ洋画家、山口薫さんはこの風景が育んだとも言われています。
道草の通学路
2017.03.29
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