土屋文明

高崎市保渡田町に土屋文明記念館があります。
土屋文明が幼少から高校時代まで過ごした家は親戚にあたります。
土屋文明は昭和38年に育ての親 福島周次郎 ノブの開眼祝いに福島家に寄りました。
一緒の写真に写っているのは私の祖父にあたる理三郎です。
理三郎の父の弟が周次郎にあたります。
私の母も叔父も文明の母ノブの思い出は残っているそうです。
文明が東京に出た後、めったに帰郷しなかったので寂しい思いをしていたに違いないと察します。
母は幼い頃怒られたり悲しい事があった時、ノブさんのところに行き、飴玉をもらったりいつもやさしく慰めてもらったと言いました。
芸事が好きで風流な周次郎は文明が幼い頃、よく本を読み聞かせしてあげたようです。
安寿と厨子王の話を聞かせたら文明は泣き出してしまったというエピソードを母から聞きました。
幼少の頃から感受性が豊かだったのだと思います。tuchiya

・文明は子供の頃樫の木の大木を背に座り本を読んでいたそうです。
・化城寺はすぐ近くにあったそうですが現在はなくなってないそうです。

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文明の母ノブが亡くなった後は私の叔母が住んでおり子供の頃は時折泊まりに行ってました。
その家に土屋文明が住んでいた事を後で知りとても驚きました。


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